アリストテレスについて教えて下さい。

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アリストテレスは、前384年-前322年3月7日を生きた西洋で最も有名な哲学者の1人です。
同じく哲学者として有名なプラトンの弟子であり、同じく哲学者であるソクラテスと共に哲学の代名詞と称される事もあります。

「万学の祖」と称えられている

当時の哲学は現代の様に、「心の在り方」に限られた範囲の物ではなくて、自然科学等の知的探求全般も守備範囲とされていました。
それをアリストテレスが「この範囲は倫理学で、こちらは自然科学」という様に分類し直した事で、「万学の祖」と称えられている事も押えておきたいポイントになります。
(※ちなみに、哲学者として名を馳せていますが動物関係を体系的に研究したパイオニアでもあり、古代世界限定では比肩し得る程の研究は他に例がありません。)
東方大遠征で有名なアレキサンダー大王ことアレクサンドロス3世の家庭教師でもあり、多くの著作を残していてイスラム哲学から中世スコラ学、近代哲学に中世論理学等にも多大な影響を与えています。

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古代ギリシア最高の知性。人間界、自然界から神に至るまでを知の対象としたアリストテレスの言葉

アリストテレスの哲学はギリシャ語で「フィロソフィア」と言われる

そんなアリストテレスの哲学はギリシャ語で「フィロソフィア」と言われ、これは「人間は知を愛する」という意味になります。

「フィロ」が愛で、「ソフィア」が知という意味で、この「フィロソフィア」という言葉が、ヨーロッパ中の哲学を意味する言葉の語源になったという事も面白いポイントと言えます。

後はもう1つ押えておきたい点としては、アリストテレスが哲学に含むとした範囲は日本語版で17巻にも及ぶ著作で記述されていますが、その内訳は現代で言う所の哲学範囲に当たる形而上学と倫理学、論理学があります。
続いて政治学に宇宙論、天体学に自然学(物理学)と気象学、博物誌学的の分析をベースとする物もありますし、生物学に詩学、果ては演劇学も含まれていました。
その点を勘案するのであれば、知的探求の範囲を分類したのは自身の中に溜め込んだ膨大な知識体系を整理しておきたかったという様な事も少なからずあった様です。

アリストテレスの出生地

そんなアリストテレスの出生地は、トラキア地方のスタゲイロス(後のスタゲイラ)であり、当時はこの街はギリシャ人植民町の1つであり、マケドニア王国の管轄下でした。
父親はマケドニア王アミュンタス3世の侍医であったと言われ、名前はニコマコスであったという事までは分かっていますが、後に両親が他界し義兄に引き取られてから暫く動きが分からない時期があります。
そんな彼が再び姿を現すのは、紀元前367年で17~18歳頃だったとされています。
この頃、「ギリシャの学校」と讃えられたプラトン主催のアカデメイアに入学していて、最終的にプラトンが死去するまでの20年間を此処で過ごす事になりました。

プラトンから「学園の精神の体現者」と讃えられた

ちなみに、この頃には多くの真偽不明の伝説(※もしくは武勇伝)も多数語られており、曰く、「親の財産を食いつぶした後、軍隊に入るも挫折し医者の道もダメで最後の手段でアカデメイアに入ったのだ」という様な物もあり、色々調べてみると真偽の程は別にして冒険譚としても中々面白い物があります。

ただ、最終的には師であるプラトンから「学園の精神の体現者」と讃えられたとの事で、その点を勘案するのであれば良好な師弟関係であったのは間違いない様です。
結局、プラトンが死去した後はプラトンの甥が学長を継承する事となり、アリストテレスはこの時期に学園を持しています。

(※辞した理由には諸説あり、中には現代になるまで色々語られている物等もあります。)

まとめ

そしてアカデメイア時代の学友の誘いで、アッソスの街に移住した後結婚しつつ研究にいそしみ、42歳になった辺りで当時13歳だったアレクサンドロス大王の師匠に就任する事となりました。
此処から先の人生については、アレキサンドロス大王の伝記や伝承等と絡めて読んでみるのも1つの楽しみ方です。

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