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もしも世界が100人の村ならば訳
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 もしも世界が100人の村ならば

 中野裕弓ブログ
 
2007年3月 
初めてこのメッセージを自宅のパソコンで受け取ったのは2001年3月7日の朝。もうそれから6年がたちました。早いものです。この6年で世界はどう変わったのでしょうか? 確かに数字は年々変化しています。でも数字の推移よりも、世界の捉え方が変わってきた、また変わらなければならなくなったと思います。
その後の私の活動にこのメッセージは大きな影響を与えてくれました。また未だに各方面からこのメッセージに関しての問い合わせ、HPのリンクの要請が多々あります。関心を寄せてくださる方が多いことにとても嬉しく思っています。

このメッセージを翻訳して世に送り出した後、今までにたくさんの反響を頂きました。多くのものはとても肯定的で前向きなものでした。でも中には数字の信憑性、発信することへの責任所在などのご意見もありました。私はこの訳文によってある種の考え方を押し付けるつもりは全くありません。“Food for thought”「考えをめぐらす元となる種」になれば嬉しいと思っています。

この数字が始めて公表された頃から比べて、いろいろな難しい課題が地球に山積しています。環境問題を扱った1997年の京都議定書でも世界が一つになって未来を見据えることが出来ませんでした。でも以前に増して世界は密接につながりだしています。自分の国だけが按配がよければ良いという時代ではありません。同盟を結ぶ国同志が潤えば良いという時代でもありません。世界を一つの生命体として捕らえる考え方、ガイアの考え方が必須です。 

もはや世界は長く続いた競争、分裂の構造を卒業し、ガイアという一つの意識の元、協調、分かち合い、協力してこの課題を乗り越えていかなくてはなりません。じゃ、どうやって?と思いますよね。世界を個人に置き換えてみるところからスタートです。私たち一人ひとりは世界の縮図です。自分の周りの人と競争、分裂でエネルギーを疲弊させるより、個人レベルで周りの人との協調、分かち合い、協力をして、もっと多様性に富んだ共存できる世界を創る時代になったのです。楽しみだと思いませんか? 

2007年初め、ソーシャル・リース(社会の環)という構想を打ち出しました。どんな場所に生まれた人も、どんな環境に生まれた人も、みなこのリース(輪)につながれば、必要なものが必要なところに必要なだけ流れていくという社会のシステムです。これからこのシステムの実用性、可能性をもっと掘り下げていきたいと思います。
 
2004年春 
2001年の3月7日の朝、インターネットで受け取ったメールを読んだときの感動、それを訳して発信した時から、あっという間に月日がたってしまいました。 3年たった今、あのメッセージから私が受けた感動、世界の平和を願う気持ちはより強くなっています。 世の中に目をやればいまだに世界のあちこちでは戦闘が止まず、毎日の平凡な生活を手にすることが出来ない人々がたくさんいることに心が痛みます。 母親と父親の愛から子どもが生まれ、家族にはぐくまれながら成長し、社会に出て自分を活かし、自分も両親と同じように親になり命のバトンを渡していく・・・そういう”当たり前”のことが当たり前になる世の中を世界規模で早く実現させたいと思っています。 そしてたとえ目の前の出来事が平和や調和とはかけ離れたことのように見えたとしても、実はその分裂、対立、破壊のうらには私たち人類が向かっている方向からの光がもう見えていることを確信しています。
 
2002年2月 
「100人の村」という主にインターネットを媒体としたメッセージが日本中に広がっています。 昨年12月中旬に「世界がもし100人の村だったら」という本がマガジンハウスから発売されましたが、一ヶ月余りで44万部を超えるベストセラーになっているのだそうです。 また1月17日にはNHKの夜のニュース10のなかで紹介され、また2日後にはフジテレビの情報プロジェクトスーパーで20分もの特集が組まれました。 それだけ今、世間でこのメッセージが浸透しているということのようです。 当初日本語に翻訳したときには全く思いもよらなかったその後の展開に、私自身とても驚いています。 その後、TBSの朝の番組でも取り上げられましたが、そのときにはもう101万部に達していたようです。 反響はまだまだひろがっているようです。

 どの媒体でもわたしのことをこのメッセージを翻訳した人として紹介してくださったことを有り難く思います。 でも実は英語の原文はわたしより前に日本語訳した方があったようですが、今回の広がりのきっかけはどうもわたしの訳文だったようでそのチャンスをいただけたことを光栄に思っています。 なぜこのメッセージを訳すことになったのかとのお問い合わせも多く頂いておりますので、ここでわたしと「100人の村」の関わりについてお話しましょう。

 あのメッセージの英文がわたしのEメールに届いたのが昨年の3月7日でした。 わたしが以前、勤務していたワシントンDCにある世界銀行本部の元同僚からメールで転送されてきたのです。 そのメッセージには作者の名前は無く、またアメリカの友情週間(National Friendship Week)にあわせて職場のみんなに伝わっていった文章という形態でした。 初めて読んだとき、心揺さぶられ、とても感動したのを覚えています。 深く考えることなくあっという間に翻訳し、転送の許可を元同僚にもらってから、まず親しい友人たち十数人にメールで伝えました。 またその数日後は講演会でしたのでそこではじめてコピーしたものを参加者の皆さんにお渡ししました。 反響は早く、自分のホームページに載せていいだろうか、友人にコピーを回していいか、学校の教材として使いたい、集まりがあるのでコピーを配布したい、などなどお問い合わせをたくさん頂きました。 その後も、嬉しいことにこの文章が一人歩きを始め、地方新聞や、機関紙、あちこちの会合などでも取り上げられていきました。

 このメッセージ自体、世界を100人に縮小するという発想が斬新でわかりやすく、また事実のまとめ方がとても希望の持てる感じで終わっていたのに感動しました。 この感動が作者も訳者も不明のまま、自然に流れていけばいいなと思いましたが、その時点では作者は世銀の誰かに違いないと思っていましたので慎重に扱いました。 というのは世銀では経済関係、数字がらみの文書を外に出す時には組織の立場上大変チェックが厳しいのです。この中にも数字が用いられていましたので、翻訳した文責をとるつもりで“アメリカの友人からのメッセージ、作者不詳、訳なかのひろみ”とだけ記しました。

 昨年秋、このメッセージを本にまとめたいと思われた出版社数社から問い合わせがありました。 とりあえず出典を調べて欲しいとのことで、転送もとの元同僚に確認したところ、その時期世銀の中でまわっていたものは、当時世銀で人口問題を扱っていたエコノミストのLeipold氏ということでした。 しかしながら後に彼のところにも外部からメールで転送されてきたのだということが分りました。 一体誰が書いたのだろうと思った人は他にもたくさんいたようです。 ある方から情報が入りました。
英国の大学教授のホームページ上で本当の作者について言及してあるとのこと。 早速インターネット上で検索したところ、このメッセージの元となった文はDonella Meadowsさんというアメリカのイリノイ州出身の大学の先生が書いたものでした。  でも1990年に活字になったメドウスさんの原稿には100人ではなく1000人の村の様子が描かれていました。 それが人の手を経るうちに100人サイズに縮小され、ある部分削除され、また後半の部分は誰かに書き足されているのです。 ですからわたしが昨年3月に訳したものはあくまでも世銀の友人から転送されてきたものです。 

 メドウスさんは大学でシステム関係の教鞭をとっていた女性です。 その後、ニューハンプシャー州に移り、エコビレッジの構想のもとで畑を耕す傍ら、環境問題の研究や執筆などをされたようです。 始めはシステムのような最先端の事を教えていた人が、後に土に親しむ生活を選んだことにとても興味をもちます。 彼女の著作には「成長の限界」や「限界を超えて」という本があるそうです。 原文は読んだことはありませんが、タイトルを見るだけでもこの方にお会いしたいと思ったものです。 でも彼女は昨年の2月に60歳の誕生日のほんのすこし前、この世を去っていました。 それを知った時なおさらこのメッセージは彼女から後に続くわたしたちへのこころのメッセージ、遺言のように思いました。 

 いずれにしろこのメッセージはインターネット上で世界中を駆け巡り、転送に転送を重ねるうちにいつのまにかどこかで1000人が100人の村になり、そして後半の部分も新たに付け加えられました。 詳しく調べた方によると後半の部分“もし銀行に預金があり、お財布にもお金が有り、家のどこかに小銭の入った入れ物があるなら・・・あなたはこの世の中で最も裕福な上位8パーセントのうちのひとりです”などはあるキリスト教の団体のホームページにそのまま出ていたとか・・・ だとしたら“ミサに行くことができるなら・・・”という部分があったのもうなずけます。

 日本語訳はわたしの手を離れた3月中旬からインターネット間やコピー、ファックスなどを通して少しずつ広がり、9月11日の同時多発テロに際しまさにタイムリーなメッセージと受け止められ、その後の大きなうねりとなっていったような気がします。 わたしがこのメッセージを見て最初に思った“地球が手のひらにのったような”身近な感覚に共鳴された方も多いことでしょう。 世界を遠いものと考えず、手のひらにのせて自分は何ができるかを考える、そんなきっかけになったのではないでしょうか。 

 「100人の村」のメッセージにあったことはわたしが4年前にワシントンDCの世界銀行から日本に戻って以来、まわりの人に伝えたいと思っていたことに共通していました。 あのメッセージの中でわたしなりにポイントだと思ったのは次のとおりです。

・いまこの世界に必要なのは?
答えは前半の最後の3行にありました。
原文にはAcceptance(受容),Understanding(理解), Education(教育)とあります。

訳としては:−・・もしこのように縮小された全体図からわたしたちの世界を見るなら、
相手をあるがままに受け入れること自分と違う人を理解すること、そしてそういう事実を知るための教育がいかに必要かは火を見るより明らかです。

テロの撲滅、テロリストの壊滅ではなく、テロリズムという考え方自体やそういう状況が出てくる必要のない調和のとれた世界を構築することが求められています。 それにはこの3つのポイントは不可欠です。 でなければわたしたちは頻発するテロ行為に対しまるでもぐらたたきのごとく対処し、時間ばかり費やしてしまうことになるからです。

・世界と日本と自分の置かれている位置がはっきりしたところで大切なのは?
答えは最後の方にある5行の詩です。

お金に執着することなく 喜んで働きましょう
かつて一度も傷ついたことがないかのごとく 人を愛しましょう
誰も見ていないかのごとく 自由に踊りましょう
誰も聞いていないかのごとく のびやかに歌いましょう
あたかもここが地上の天国であるかのように 生きていきましょう


こう呼びかけられたら気持ちが明るく前向きになりました。 そこにたどり着く前の文ではいかに日本が恵まれているか、日本人が恵まれていたのかを認識せざるを得ません。 そうするとわが身を振り返り、反省モードに入ってしまいそうです。  それよりもひとりひとりが自分の毎日の生活を大切に心穏やかに過ごすことだと思いました。

 5行の詩の前にはこんな文があります。
昔の人がこういいました。わが身から出ずるものはいずれわが身に戻り来る、と。

これは地球がひとつ、人類が足の下でひとつに繋がっているという意味だと思いました。 ですから地球上の人々が踏みしめる足の下でひとつに繋がっているのだと知るとき、自分の心をしっかり満たすことが世界のどこかで誰かの笑顔につながるとは考えられないでしょうか。 自分で自分のこころを満たすことができる人が集まる社会には愛や調和が溢れ、その社会は、国になり、そして地球全体がそういう人でいっぱいになったとき平和な世の中が構築されて、まるでここが地上の天国になっていくのだと思うのです。

 このメッセージは次の一文で締めくくられていました。

“このメッセージを人に伝えてください、そしてその人の一日を照らしてください”

必要な人に必要なメッセージが無理のない形で伝わっていくということは素晴らしいことだと思います。 誰かのエゴや、所有する心や、理念の押し付けではなく、善意が自然に広がるということは、とても新しい情報の流れ方で、ひいては大きなうねりとなるのだと今回のことでますますはっきりしてきた気がします。 

 「100人の村」の今後の展開が楽しみです。 テレビの番組の中でこれが学校教育の中で生かされているという事例を知りました。こどもたちにとってもとても意義のある研究課題だと思います。 新しい世界観を持った子どもたちがたくさん巣立っていくことを願っています。 このメッセージは過去何年もかけて世界中に広がりました。 でもインターネットで、そして本になってこんなに広がった日本という国をあらためて誇りに思います。 このメッセージにこんなに率直に反応できる日本人、物事を深く考えるきっかけにできる日本人にはまだまだ希望が持てる、期待できるとわたしは信じています
中野裕弓 
Feb.2002 

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